少し以前の事だ。あるクライアントで管理職昇進直後の受講者を集めて、人材アセスメントの研修をお手伝いした。そこに旧知の人事担当常務が開講の挨拶に来た。当然ながら、
「君らも管理職になったのだから、しっかりやってくれよ」
と激励にいらしたわけだ。横でそれを聞きながらこの常務といつから旧知なのか指折って数えているうちに、ふとおかしみが湧いてきた。彼も私も若かかった15年ほども前、彼はこの研修に参加し、私は先輩コンサルタントといっしょに研修運営を行ったのであった。その時の彼の様子を私はありありと覚えている。今、立派な役員としてマネジメントの大切さ、変化の重要性などを若手管理職に説く彼を見ていて、少しだけこの場をやわらげる必要を感じた。皆、良い意味にしても少々緊張している。
挨拶が終わり、「では先生、お願いします」とバトンを渡された。そこで私は、言った。
「実は昔、○○常務も、この研修を受けたのですよ。ですから皆さんだけに研修をやらせているわけではないのですよ。」
どんな研修でもそうだが、研修がうまくいったとしても、かなりの割合で、「こうした研修は自分達の上司も受けるべきだ」と言う感想が出てくるものである。それに私が最初から答えたわけだ。受講者達に何やらほっとした空気が少し流れる。意外だったのは、次の常務の反応だ。
「いやいや、あの時は・・・・・」
と大きな声で演台に戻り、続けた。
「この研修は、ただ知識を覚えるのではなく、本当に実戦の役に立つのです、皆さん。特に、先生、あの面接ですね。」
と言って、少しだけはにかむような表情を込めつつ、にやりとして私を見た。
面接と言うのは、問題を抱えた部下を10分間説得し、それをビデオに撮って皆で観察する演習である。受講者全員が同じ事を行う。人材アセスメント研修の中でも受講者に印象深いと言われる場面のひとつだ。十数年前、彼が若手の課長としてこの研修に来た時、その演習の部下役を私が勤めた。その情景を、私は今もよく覚えている。表情を見ると、彼もありありと覚えているらしい。その時自分が上司役としてどんな言動を取ったかを。はにかむのも当然だろう。その時の彼は、15年後の成熟したシニアマネジャーとしての現在の彼ではなかったのだから。
「いやあの時は恥ずかしい思いをした。そんなこと、こいつらの前で言わないでくださいね。」
とその表情は語っているようだ。しかし口には出さなくても、そうしたポジティブな雰囲気はすぐに伝染する。一層受講者の空気がなごみ、最高の研修スタートの雰囲気となった。
それにしても、である。最近は、教育研修の効果測定の論議がかまびすしい。少し神経質過ぎるかもしれない。この例を見て欲しい。15年覚えているのである。と言う事は、15年間、自分の弱点を意識した行動を心がけてきたのである。何とすばらしいことか。15年間、部下と重要な場面で接して来た回数は数えきれないだろうから。そして15年覚えていたのだから、もうたぶん一生忘れないだろう。
人材アセスメントの研修を受けた全員が15年覚えているとまでは言わない。しかしこの例のように、お蔭様で有り難い事に同じ会社からまたお呼びがかかることが多いので、1年2年3年して同じ受講者が別種の研修に出てくる事もある。そう言う時に、手帳にアセスメントのフィードバックレポートを縮小コピーして貼っているような人はさほど珍しくはない。そこにはその人のマネジメント行動上の強みや弱みが具体的に記されている。手帳に納めているのだから、折にふれて読み返しているのだろう。用事があってその会社に行くと、構内で既知の受講者と行きあう事も少なくない。そんな時、半分冗談で「先生、今日も面接ですか」と挨拶される。それだけ印象が残っているわけだ。
教育研修の効果を、科学的、学問的に測定する方法は今のところないと言ってよい。しかし、私にはこうした受講者の方々の反応が、何よりうれしく励みになり、相手のクライアント企業に対しても使命を果たせたと思いほっとする。そして、ますます自分と部下に、研修に出かける前に言い聞かせる。
「今日おまえが受講者に発する問いかけは、彼の心に10年間残るものでなければならないのだ。」
(この記事は「株式会社マネジメントフロンティア」ウェブサイト上に2010年12月01日付で掲載された記事「とくに、先生、あの面接ですね~人材アセスメント研修の効用15年~」の再掲載です。)