最近、特に「言葉の重み」について考えることが多くなりました。
メールでのやり取りが増えてきたこともあるように思います。
対面や電話の場合は、相手の表情、声のトーン、話し方などから話が的確に伝わっているかどうか、確認することが出来ます。
しかし、メールではそうはいきません。
そういう意味で書いたのではなく・・・といった、こともよくあることです。

文章にすると「言葉の意味の取り違え」もよく起こります。

言葉を書いたり、発したりするときにはその言葉の届く先の相手の反応や思いに、想像力を働かせなくてはならないと感じます。
特に大震災の後「がんばってください」という言葉が多く使われていますが、何か「他人事」のように聞こえることもあります。
「一緒にがんばりましょうね」と伝えた方が、同じ「がんばる」でも少し意味合いが違うように思います。

公の立場の方々は「言葉の重み」をどのように理解していらっしゃるのだろうか?
イタリアの原発に関する国民投票に対し「集団ヒステリー」と発言した日本の某政治家がいるが、大変失礼な言葉の使い方ではないでしょうか?

相手の立ち場になってみることの難しさ、そしてその必要性。
まだまだ、私たちは学習が足りないように感じます。

大震災から3か月が過ぎて、未だ復旧の見通しも立たない状況がある現実。
私は、被災された方にかける言葉が、見つからなくなってきています。