研修の講師をしていると、受講者がすっと消えることがある。

もちろん物理的にじゃないですよ。比喩的な意味で。

どう表現したらいいのか。
まるで「受講者という集団」の中に溶け消えてしまうというか、まるで「テレビの向こう側」にいるかのように、その場にいないかのように振る舞うというか。

その「消え方」は本当に見事で、すーっと存在感を消す。集団の向こう側に行ってしまう。

それを、なんとかこっち側に、人間としてその場でやりとりする相手として、「あなたと私」の関係にする。×何十人か。
というのが講師としてはすごく難しいところで、同時に一番重要な部分ではないかと思っている。

やることはシンプルで、とにかく「大丈夫だよ・今この場所では失敗していいんだよ・自分でいていいんだよ・間違えていいんだよ」というメッセージを繰り返し繰り返し、色々な言い方で伝え続ける。
根気強く繰り返していると、少しずつ「こちら側」にやって来る。その場に、相対して存在する一人の人間として現れて来る。

新入社員は「とにかく黙る」という消え方なので、比較的分かりやすいし、こちらからの働きかけに対してある程度の時間があれば変化が見える。

これが入社して数年経つと、一見普通にその場で参加しているように見えて、でもよくよく観察すると本当のところでは「まるで参加しているように・何か自分の考えを表明しているかのように・その場にきちんと存在しているかのように」見せているだけであって、実際のところは存在を消している。というような「技術」を身につけ始めます。

こういう人々は、なかなか「こちら側」には来ないですね。特に短時間の研修では、まずそこまでは行かない。だけどやはり、とても根気強く、「今この場は大丈夫だよ」というメッセージを伝え続けると僅かずつは変化する。

そういう人々がいるし、そういう会社があります。

分かりにくいだろうか?分かりにくいですよね。僕もうまく言葉に出来ているとは思わない。でも、そういうことがある。集団の向こう側へと消えていく研修受講者たち。

なぜなのか?

彼ら彼女らにとって、それまでの学校や職場は「大丈夫」ではなかったんだろうなと思う。安全な場所ではなかった。屈託なくその場に存在して、意見を述べて、疑問を口に出来るような、そういう場所ではなかった。

だから、そうやって「存在感を消す」ことで、嵐が過ぎ去るのを待つように、「やりすごそう」としているのかな、といつも感じる。
まぁ、だから僕のお仕事は、そういう人々に「わっはっは、そうは問屋がおろさないのだよ」と言って、一人一人を研修の場に「引きずり出す」ことです。

人材育成や組織づくりにおいて、「心理的安全の重要性」というようなことが言われて久しいけれど、状況は大して変わっていない。

今のコロナ禍で、多くの企業が「いきなりリモート」の状況に放り込まれた中、彼ら彼女らはどんな働き方をしているんだろうか?と思う。
イキイキと働いて、積極的に仕事にコミットしてるか?あんまりそうは思えない。

企業は「社員に自律して欲しい」と言うけれど、「自律しろ」と言ってそうなるわけじゃない。
表面ではそう言っていても、あるいは人事担当や経営者が一応はそう思っていても、根幹の構造や無意識の価値観が「社員の自律」を認めていなければ、そうはならないんですよね。

人材育成では、個々の「人」だけにフォーカスするんじゃなく、人と人の間にある「関係・環境・構造=組織」も変えないと、本当の意味で企業は変わらない。

「これからの人材育成」を考えるとき、僕は「自律性」という要素は外せないように感じる。
物理的に分散した環境で働くことが「デフォルト」になる中、「自律分散型」の組織が本来もっともコストがかからないしパフォーマンスも高い。はずである。

ただその時、変化すべきは「社員」であるよりも、まず「組織」の方ではないだろうか?
表面上は「社員に自律してほしい」と言いつつも、実態としての企業の根幹、語られない価値観や風土において、社員一人一人に対して「真に個人として自律する」ことを許容しているか?そういう「関係・環境・構造」にあるか?と言うと、そうではない企業がかなり多いと感じる。

経営者やマネージャーにとって見えにくい、あるいは見ることに勇気がいるような「組織のあり方」に焦点を当てて向き合うことが、「これからの人材育成」には常にセットとして要求されると思います。