この面接演習は状況設定がわかりやすく、マネジメント経験の習熟の深さに関わりなく、受講者の心に永く残ることが多いことは、「人材アセスメント研修の効用15年」においても述べた通りである。

別な例を挙げる。ある会社では、人事制度改革を機に、全管理職に意識改革を求めるため、このアセスメントを実施しようと言うことになった。ほとんどが私と同じように、いいトシをしたオヤジたちである。それがこの面接演習のフィードバック、つまりビデオ観察になると、「見たくない」「見るのがいやだ」とコドモのように口々に言うのである。なぜ見たくないかは読者にもご理解頂けるだろう。「これってまるきり人格が出てしまいますね。」と笑いながら語った人もいる。ここで言う「人格」は情緒的な意味合いではなく、マネジャーとしての素朴な力量と言うことだろう。それをありのまま見たいと思う人はまず少ない。ちなみに笑いながら語れると言うのは、ストレス耐性がけっこうお強いと言ってよいかもしれない。

つまりふだんは、そうしたことを見ないで済んでいると言うことだ。ふだん見ずに済ませている「見たくない」有意義な内容をわざわざお見せするから、忙しい人達を研修に集める意味があるのである。しかし、そんなものを毎日見ていたらたまらない。だから5年か10年にいっぺんは見たらよいのだ。「それが今日なのですよ」とお伝えしている。そうして「見たくない」ものを見た人は、10年でも20年でも、覚えているものなのだ。それは、その年数のあいだじゅうずっと組織運営上必ずポジティブで有益な作用をするのだ。

別なある会社では、自己診断のため、このアセスメントを何年かおきには受けてくださいと定めている。すると不思議なことに再受講者の多くが、「今度こそあの部下役を説得してくれよう」と明るいファイトを燃やして意気込んでやって来るのである。日常の意識の中にどれだけこの演習が浸透しているか、よく伝わってくる。現にこうした人は、あとで聞いてみると必ず日常の言動が変わっているものである。それが組織運営にどれだけプラスになるかはご理解願えよう。

(この記事は「株式会社マネジメントフロンティア」ウェブサイト上に2011年9月29日付で掲載された記事「その5:面接演習において「見たくない」ものを見る学び」の再掲載です。)