この面接演習の部下役は、通常、講師達が行う。この部下役を適切に行うのは、楽屋裏の話で恐縮だが、それほど簡単な技術ではない。たださからえばいいと言うものでもないし、と言って、受講者上司役が言うことを皆「おおせごもっとも」では面接にならない。そのあんばいが大変微妙で、あとでビデオを見た時に、深い学びが残るような面接になっていなければならないからである。要するによほどまともな部下役───ただし、しっかり自分の意見を持っている───を演じなければならない。これを習熟させるには、相当な訓練を要する。

聞けばアセスメントの「業界」にあって、この面接演習の部下役を遂行できる講師が減じて、面接演習を実行しない研修をもアセスメントを称していると言う。これは申し訳ないが、マネジメント行動のアセスメントに関する限り正道とは言えない。なぜそのような状況になったかと言うと、講師自身にとって、一方的に講義をするより、この面接相手役を適切に遂行するほうがある意味でははるかに難しく、その訓練は、資質もしくは組織勤務の経験を欠いている場合にはまず無理であるからである。言い換えれば、申し訳ないが、そうした要件を欠いた方々がいささかこの業界に参入いや乱入され過ぎた。

後述する分析発表演習は、時間の都合で省かざるを得ないことはある。が、この面接演習は省けない。が、面接演習を省くような運営は、たいていその代わりに、そうした発表などに時間を相当費やす。しかし、発表場面よりは、対人場面の方が、順序から言えば基本であり、優先度が高い。  

その理由は理論的にも説明できるがこう思えばよい。あなたが休日の政治討論番組など見るとする。あなたは、練達のニュースキャスターが、要職にある政治家に、私達国民に代わって聞きたいことをずばりと聞くから、その問答、つまりは面接を見たくなるのである。その時の政治家の反応、対処、一切の表情、態度、しぐさによって、私達はその政治家の力量、真に国民を思ってその地位にあるかどうかを見きわめ、私たちがこの人に生命財産を預けてよいかと、判断、つまりは「アセスメント」することができる。しかし、これから1時間、演説をするから全部聞いていてくれと言われても、よほどその人のファンでもない限り、多くの人はチャンネルを変えてしまうだろう。マネジメントにおける「面接」と「発表」もそのくらい順序の差があるのだ。  

私たちの日常にあっても、ひとりひとりの大切な関係者や直属の部下の意見を受け止めてきちんと説得できない人の演説などは聞いてはいられないのだ。一般に部下には言わば「正当に葛藤した心情」がある。これを適切に表現する部下役を演じるのはさほどやさしくはない、とこの項の冒頭で言ったわけである。 

ついでに言えば、営業マンの訓練などでも、すぐプレゼンテーションスキルだとなりがちだが、私の経験上、顧客と人間的信頼関係を構築できた上で、適時適切に質問を行って重要な情報を入手できる能力───つまりは面接能力───が備わっていない人に、プレゼンスキルを訓練するのは、徒労であり、エネルギーの空費である。判断の前提となる重要な事実を得られないのに、発表会の設営がじょうずにできたからと言って顧客が発注をするわけがないからである。 もちろん発表(プレゼン)スキルが重要でないと言っているのではない。物事の順序を言ったのである。

(この記事は「株式会社マネジメントフロンティア」ウェブサイト上に2011年10月4日付で掲載された記事「その6:面接演習における相手役、部下役の重要性」の再掲載です。)