こんにちは! 上野昭代でございます。

人生は、出会いと別れの繰り返し・・・と言います。(演歌の歌詞のようですが・・・笑)
知人とのお別れは、やはり寂しいですね。でも、年齢からかだんだんとその「お別れ」が増えてきたように感じています。人間、生まれた時から死に向かって歩き始めるわけですから仕方ないのですが・・・だからこそ、1日1日を大切に生きること、そして「生きている間のプロセス」が大事で、意味があるんだと思います。

先日、私が社会人になって最初に「仕事」を教えていただいた先輩が、急逝されました。
もう40年も前になりますが、某非鉄金属メーカーに就職した私が配属されたのは「海外原料部」。つまり、海外から鉱石を買い付けることが主な仕事の部でした。多くは「商社」を通して買い付けていたのですが、一部、自社で直接、輸入している鉱石がありました。その直接、輸入する鉱石(銅鉱石)の担当として、結婚退職される(当時は、寿退職・・・と言ってました!)先輩の後任として配属されたのです。

L/Cを開いたり(今もあるのかな?)、インボイスを作り、船積み書類を作り・・・といういわゆる「輸入の手続き」の仕事から、支払いの手続き、書類管理、自社の精錬所から送られてくる鉱石の分析表の含有量を基にassay reportを作成する、はたまた、交際費、課員の出張費の計算などが、私の担当の仕事でした。パソコンのない時代、全てが「手作業」。覚えることがたくさん!! 当時は、銀行にも何度も足を運んで仕事をすることも多かったです。

しかも先輩が退職するまでの3週間ほどで、全てを覚えなくてはならず、メチャクチャ大変な思いをしたことを良く覚えています。計算も一つ一つ、電卓で計算するわけで(今のように計算式を入れれば、パッと出る・・・なんてことはないのです)間違ったり、するわけですよね・・・
そうそう、話は逸れますが、海外から入ってくる連絡事項も「テレックス」。細長い紙に、ポチポチと穴があいて、そのポチポチがあいた暗号のようなものを読み取り、英文にすることが出来る、すごい課長がいたりする時代でした!

ある日、あまりにも切羽詰まってしまっている私をその先輩は、ランチに誘ってくださいました。その時にかけられた言葉が今でも忘れられません。
「この仕事は、細かいし、覚えるのは大変だけど、あなたなら大丈夫。焦らず、ゆっくり覚えれば問題ないから。私も最初、とても大変だったけど、その時よりずっと出来ているから。仕事は、どんな時も丁寧にやれば、それがプロの仕事になっていくと思う」と言われました。
その「丁寧な仕事」という言葉が、今でも私が仕事をする基本になっているように感じます。不安で仕方なかった私は、この言葉で落ち着いて仕事が出来るようになったと記憶しています。そして「プロの仕事」というのは、いつ、どんな時でも丁寧だ・・・と、今も感じています。

何でもそうかもしれませんが、特に仕事に関しては、最初に習った「その時の環境」「教えてもらう人」などによって、その後の仕事に対する考え方、あり方に影響を与えるものだな〜と思います。なので、新入社員を受け入れた部署は、不安な気持ちでいる新入社員に寄り添ってあげてほしいと、私はいつも思います。

私は、幸運にもとても良い環境、そして人に恵まれて社会人としてのスタートを切ることが出来ました。今、この仕事、人材育成の仕事に携わっているのも、伏線にはこの時の経験があるのかもしれないな〜と、先輩とのお別れで改めて思うと同時に心より感謝しております。

ある意味「原点回帰」と言うのでしょうか?仕事をする環境、そして、どんな人と仕事をするのか・・・?それは、自分の仕事の成果をあげていくため、そして自分の人生を考える上での原点なのかもしれません。