管理職向けの人材アセスメント研修の面接演習の相互フィードバックにて面白い会話を耳にした。

一方の山田さん(仮称)は、この会社の最若手マネジャーであり、将来の期待もかかる。他方はずっとベテラン管理職の大村さん(仮称)で、経験ははるかに山田さんを凌駕する。この日の面接演習は、「実戦問答4」と同様、力はあるが協調行動にやや難のある部下を説得するケースである。部下役を私達が行い、全員が10分間の面接を行う。それをあとでビデオで確認し、所定の組み合わせになって、「さあ相互フィードバックを始めてください」と言う場面である。

この若手マネジャー山田さんは、日頃は自らを頼み、自信と自負に富んだ言動、言い換えれば部下にはぐいぐいと仕事を命令する言動が多いと見られていたのだろう。ところが、ビデオを見ると、じっくりと部下の言い分を傾聴して感情移入し、どう見てもそのビデオ1巻に納まった何人かの中では、いちばん若い彼がいちばんじょうずであった。

相互フィードバックの相方になった大村さんは、ちょっと勝手が違ってしまった。「若造、良い機会だからいろいろ指導してやろう」と思っていたかも知れないのだ。逆に、大村さんは、いちばんキャリアもある方だから、かえって気負って臨んだのか、このビデオでは少しいつもの調子が出せなかったと感じている。つまりこの10分の面接に限れば、山田さんのほうがじょうずだった。

しかし、大村さんは、それを素直に受け入れる態度を持っていた。

「君のやり方には感心させられたよ。」
「ありがとうございます。」
「君がいちばん部下の言い分をていねいに聞き取っていたね。(ビデオを見た)みんな、びっくりしたかもしれない。」
「ええ、まず、相手にいろいろなものを全部言わせてはきださせないと話は進まないと思いましたので。」

カタルシス効果を産み出す傾聴の原理を表現するお手本のような態度だった。

「私は部下に何か言われるたびに、否定的な態度を取ってしまっていたことがビデオを見てよくわかった。」
 これは大村さんの反省の弁。
「・・・・・」
「それにしても、おまえ、ふだんとぜんぜん違うじゃないか。驚いたよ。」
「いえいえ、大村さん、私は、日頃からそうしていますよ。」
「うそつけ、おまえの日頃の態度からは考えられない。」

こう文字にするときつい表現だが、感心、悔しさ、揶揄が入りまじりながらもポジティブであっけらかんとした雰囲気である。逆に言えば、研修のひとつのねらいは、こうした前向きなからりとした空気をつくり出すことでもある。

「管理職どうしの会議では、おっしゃる通りかも知れません。しかし、部下に対しては、私はそうではありません。」
「ほう・・・・・」
「私は、中国など海外勤務もあったせいで、日本人どうしのように、以心伝心が通用しない世界では、まずひたすら聞くしかないのです。それをしないと絶対に問題が解決しないと知ったのです。」
「・・・・・」
「それはずいぶん苦労させられましたよ。」
「ふむ・・・・・」

弁が立つだけの生意気な小僧と思ってきたが、いつそんなことを学んだのか、と大村さんの顔に書いてある。

「おまえ、きっと、前回の人たちに様子を聞いてきたのだな。」

この会社では、この研修は、何度か行っている。前回の人たちとは、その以前の受講者のことである。

「ええ、多少なりとは。」
「おまえ、そりゃ、ずるいよ。」

最後は笑いながら大村さんは言った。今度は脱帽と悔しまぎれが半々と言うところか。「若造、本当の実戦場面ではまだ負けないぞ」とも言っているような態度でもある。山田さんには、一層の自信を着けるよい契機となったことだろう。

さて読者はこのやり取りをどう思われたたろうか。

かんじんな点は、指導力、説得力などのリーダーシップに一夜漬けがきくかと言う点だ。

結論を先に言おう。絶対にきかない。

もし、事前に様子を確認し、もしも面接演習の課題を事前に読んでいたとしても、部下へのリーダーシップは急に向上しないし、こうした面接がふだんと見違えてじょうずにできると言うことも起こり得ない。逆に中途半端にそのような予習をして誤った先入観を持つと、かえって調子が狂ってしまい普段の力を発揮できなくなるケースが多い。たった10分間だけでも、別人格を演じることなど、私たちには決してできないのだ。だから受講する本人のためにも、あまり先入観を持たずにおいでくださるよう、クライアント企業にはいつもお願いしている。事前の小細工を弄せず研修に臨んだ大村さんの方が、その点では自然体なのだ。

では山田さんはなぜじょうずにできたのか。それが彼の実力だからである。そして、そうなるために、どれだけ日常鍛練してきたかが、彼の言葉からもうかがい知れる(もっとも会話の流れで、海外うんぬんとなったが、何も相手が外人でないとこの修練ができないと言うことはない)。そして事前の情報を聞いたにも関わらず、少しも先入観とせず、あくまで参考とし、演習における言動は一切自分の意思で決めている。こうしてできあがってきた態度は、本物であり、実力と言うしかない。たった10分間の面接にそれがきれいにあらわれるのである。

だから山田さんの思いはこうだろう。

「事前に様子を聞いていても聞かなくても、私が面接で取る態度は全く変わりはなかったでしょう。」

もちろん、先輩管理職にそうまで胸をそらした物言いをする必要はない。講師である私にでも問うれたら、の話である。が、それは、私にも無用な事であった。

なぜなら、相方の大村さんもまた、これが彼の実力であることを認めた態度を取っていたからである。「ずるい」うんぬんは、健全な負け惜しみをからりと表現したオトナどうしの会話に過ぎない。横で見ていた私にはそれがすぐわかったからだ。経験を積んだマネジャーどうしなら、相手の力が本物か、付け焼き刃かはすぐわかるものである。相手の力を認め、それに倣う。これほどすがすがしい光景はない。どうでもいいようなミクロな成果主義の尺度の測り方を論じ合うような光景に比した時の、こうした場面の生産性の高さを考えてみて欲しい。

このすがすがしさは、当事者によい印象を長く残す。研修とは、こうした光景をつくり出すために行うものなのだろう。

(この記事は「株式会社マネジメントフロンティア」ウェブサイト上に2011年2月23日付で掲載された記事「おまえ、そりゃ、ずるいよ~リーダーシップに一夜漬けは効くのか~」の再掲載です。)