2021年1月より当社顧問に就任した横山太郎。今回の記事は、横山のこれまでの手掛けてきた仕事について、クライアントの特性や、依頼をいただくキーパーソンについてご紹介する内容となっています!

はじめに

早いもので、人事や教育のコンサルタントになって30年近くになりました。当初は歴史の古いマネジメント団体に属したので、組織からあてがわれたクライアントにどこにでも出かけて行きました。業種は誠に様々で、たとえばJAのような組織を第一次産業と見るなら、全産業に範囲は及びました。第二次産業の代表としての製造業を始め、小売・卸売会社(商社)、IT、エンジニアリング、サービス業、燃料関係、倉庫業、病院、福祉関係、公益法人などを含め、さまざまな組織に伺ったものです。もっと多様なのは企業規模のほうで、数万人のメーカーもあれば、一部上場会社も多かったですし、逆に数十人の地場の造り酒屋さんもありました。当然受託した仕事の内容は随分と趣が異なります。

結果としては、私のクライアントは、製造業が多くなりました。10年近く前に独立したのですが、その前後から次第にクライアントのタイプが類型化して来たように思います。クライアントの皆様が、自社に合ったコンサルタントを選ぶように、私も自分に合ったクライアントを選ぶようになって来たのかも知れません。

中堅製造業のクライアントに

製造業と言うのは細目分類がいちばん多い業種です。私にご依頼いただくクライアントは、以下のような事業を行う会社でした。

順不同で言えば、機械、電機、通信機、自動車関連、食品、飲料、製薬、化粧品、繊維、化学、橋梁、鉄鋼、農機、バルブ、包装資材、印刷、各種加工業と言った業種です。要するにどろどろのアナログの世界です。独立後は、百数十人から四百人五百人までの会社が多くなりました。

エリアは、東名阪の都心部に本社機構がある会社も多いですが、実際の主力事業所はそうした特徴ゆえ、新幹線なら「こだま号」の停車駅か、在来線などに少し入った立地にある、その地場ではとても「まともな会社」が多かったです。たいていは、そうしたエリアの中で、数十億から数百億の売上で、何らかの固有の収益力を持った会社でした。そういう会社ですから社員の皆様は、仕事は一生懸命誠実に行います。しかし、ありがちなことですが、人を育てることはやや後回しになっていた、でも人は大切にしたい、そんなタイプの会社です。

三大都市圏と、仙台や、広島、福岡などの大都市都心部以外で、私が通ったクライアントの所在エリアの主な例を言うと、以下のようになります。

弘前、釜石、本荘、湯沢、仙台、赤湯、福島、白河、いわき(以上東北)、
宇都宮、烏山、足利、佐野、真岡(栃木)、
大宮、狭山、深谷(埼玉)、
小平、青梅、町田(東京)、
藤沢、海老名、秦野(神奈川)、
君津(千葉)
長野、上田、松本、諏訪(長野)、
甲府(山梨)、
三島、沼津、御殿場、蒲原、浜松(静岡)、
豊川、刈谷、大府、岩倉、春日井(愛知)、
大垣(岐阜)、
福井(福井)
高槻、御坊、明石、赤穂、伊賀上野(以上近畿)
倉吉(鳥取)、
倉敷(岡山)、
福山、府中、東広島、(広島)、
高知、防府、小野田(山口)、
観音寺(香川)、
新居浜(愛媛)
飯塚、熊本、延岡、都城、川内(以上九州)

こう並べてみると、要するにこの30年近く、弘前から博多まで、いつも新幹線に乗っては在来線に乗り継いでいたような気がします。飛行機のマイルと違って、新幹線にはそういうものがなくて残念でしたが(笑)。

クライアントの会社の歴史は、一概に言えませんが、戦後創立で数十年を経た例が多いようです。沿革的には、オーナー会社や、それが何代かしてサラリーマン経営になった場合、大企業がつくった子会社もありました。

実戦的なコンサルタントを求めるキーパーソンから

依頼者は、大組織の企業官僚のような人は少なく、たいていは営業でも開発でも製造でも、実務の修羅場をくぐった人が、巡り巡って人事や教育の責任者になって、セミナーにいらしたり、人に紹介されたりした場合がほとんどです。経営者その人みずからが、私の書籍その他の書き物を見てお問い合わせ頂いた場合もありました。

私への依頼者となったキーパーソンは、生え抜き、転職組いずれにしても、その会社への愛社精神やロイヤルティが強く、多様なキャリアを積んだ人が多かったようです。銀行出身で出向してきたキーパーソンも時々いらっしゃいました。出向先でも地歩や影響力を築ける人です。職位は役員から課長くらいまで、さまざまです。もちろん最終決裁者は経営者でしょうが、実質のキーパーソンはそういう分布で、そういう経歴のせいか、経営者の信任厚い方が多かったです。

(後編に続きます!)